ちょっとずつあるく

思ったことそのまま。でてきたものそのまま。グチャグチャな文章をそのまま。

命の大切さなんて、分かっているふりが大半だ。殺すという授業。

女子高生が人を殺した。

 

あなたは、なんと思いましたか?

かわいそう? ひどい?

きっとそんなことを思っているのは、ごくわずかだ。

それは、模範解答だから答えるだけ。

 

きっと、おもしろいが大半だろう。

無関係。誰が死のうと、誰が殺そうと。

テレビで、雑誌で、暇をつぶすための話題を常に探している。

たまたまそれが、女子高生という面白いワードなだけ。

きっと後一ヶ月もすれば消えてしまうこと。

 

「命の大切さを知っています」っていう人のどれだけが、

命を殺していることを自覚しているだろうか?

 

命を大切にする教育を大切にしてきたという。

様々な動画を見せられたり、本を読んだり、話を聞いたり。

でも、子どもたちは決まってこう書けばいい。

命は尊いものだと思いました。と。

大人たちが言わせたい言葉を汲み取って、子どもは答えればいいのだ。

 

命を大切にする。そのためには、

殺すということを考えなければならない。

死ぬでは駄目だ。それは、きっと教えられない。

たが、殺すことは身近だ。

牛を殺す。豚を殺す。羊を殺す。鶏を殺す。魚を殺す。

僕らは毎日殺している。

ほとんどが間接的に。

 

しかし僕らはお金で買う。

牛肉。豚肉。鶏肉。

殺す過程をすっ飛ばして、僕らは手に入れる。

 

痛みにもがいている牛や豚。

それを殺すということを知らない人間が食べる。

その口で命は大切だと語る。

 

女子高生は解剖したかった。だから猫を。そして人間を。

そしてこの子は何が得られただろう?

きっと、こんなものかという感想でしかないと思う。

きっと何かを学んだのだろう。 僕らにはわからない何かを。

 

ならば、殺すという授業を行なうべきだ。

命の大切さを知るために。

魚を殺そう。食べるために。

鶏を殺そう。食べるために。

豚を殺そう。食べるために。

 

そこで何が得られるかはわからない。

命を食べらなくなる子もいるだろう。

もっと殺してみたいと思う子もいるだろう。

 

だとしても、殺すという人間の営みから目を背けることをしてはならない。

今日も屠殺が行われてます。僕達のために。

それを、もっと知るべきだ。