ちょっとずつあるく

思ったことそのまま。でてきたものそのまま。グチャグチャな文章をそのまま。

学ぶとは

拙い言葉で、それでも書いていく。あるくです。

第一に僕は勉強という言葉が嫌いだ。

勉ことを強いているから。強制してやったことにそれ以上の価値は見つけられないと思うから。

だから学校は学び舎と呼ばれるのだと思う。自ら学び、教えられ成長していく。それが学ぶということだと思う。

だが、現状は勉強することにこだわりすぎているのではないか?

とりあえず進学するために勉強している人間がどれだけいるのだろう。

大学にいるとこういう声が聞こえてくる。

「勉強したくない、面倒くさい」

ならいいたい、

「やめてしまえ」と

大学のネームバリューがほしいための勉強ならそんなものはクソみたいなものだと。

大学はただではない。それなのに、そういった人間がたくさんいる。これはおかしい。

高卒より大卒のほうが給料は高くなるだから大学へ。間違ってはいない。でもおかしいのだ。

最高学府と呼ばれる大学だが、そのほとんどは最高額府になっているのではないか? 

お金で居場所を買っている。そういうことではないだろうか。自分のアイデンティティを作るのに一番簡単なことは社会に属すことだ。就職するのはそれなりに認められなければならないが、大学では一定の学力だけを求められる。簡単な事だ、答えのある問題をひたすらとけばいい。
でもそれではダメなんだと思う。そういった人間を大学が卒業させていくことにも問題があるのだと思う。

日本人は型にはまることが大好きだ。

12歳で小学校、15歳で中学校、18で高校、22で大学を卒業。

そこから一歩でも踏み外してしまえば世間は冷たい。それはおかしいことなのだ。

学力が伴っていないのならば、留年させるべきなのである。

なぜ学ぶのか?それは考えるためだ。その考えることもできないまま社会に出せば問題が起こることは明白だ。それでもある程度、そう、ある程度できれば次に進めてしまう世界はすでに破綻していると思う。

0から1を生み出すのは天才だ。そして誰もが天才になりたがる。

お前は凡人だ。そしてこんなことを書いている僕も凡人だ。

だから学ぶ。天才から、凡人から。